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男性である私のスキンケア 番外編

近年、男性に向けたスキンケア商品種類も増加の一途を辿り、春夏秋冬どの季節でも日焼け対策をして、シェービングや洗顔後のスキンケアが当たり前の世の中になっています。その昔、スキンケアといえば、温浴施設やゴルフ場の脱衣場に置いてあった、誰もが「この香り知っている!!昔叔父さんがつけていたやつ!!」と思える商品にしか出会うこともなく、唯一スキンケアっぽさが出ていたのは、床屋で顔剃りをしてもらった後に塗布してくれていたスキンケア商品は、少しばかりスキンケアの専門性を感じたものでした。
WELLCコラムをご愛読されている皆様は、今回のコラムの書き出しから少しテイストが変わったと気が付かれた方もいらっしゃると思います。間も無く年の瀬、そんな忙しい中、少しでもみなさんが笑っていただけるコラムにしたい回となります。最後までお付き合いくださいますと幸いです。

そんなコラムを書いている私は、生まれてこのかた化粧品という分野に全く縁がありませんでした。しかし何かの縁なのか、40代半ばになり化粧品業界に関わることになりました。そしてそんな私の顔も腕も脚は、間も無く年が明けるというのに、未だに少しだけ日焼けした小麦色。でもタンニングをしているわけではありません。なぜなのか?
それはプロゴルファーでもあるからなのです。

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遡ること30数年前、1990年代半ば、毎日のようにラジオからTRFの曲が流れ、テレビを見れば「家なき子」の展開にあたふたし、「若者のすべて」のキムタクの衣装に憧れ、デビューしたての内田有紀さんに恋焦がれ、とにかく人並みの高校時代を過ごしていました。そんな私の部活はゴルフ部、夏も冬も毎日のように日が暮れるまで、空の下で球を打ち、休みとなればコースで練習。帽子も被らずに太陽の下を闊歩するので、夏が終わって冬になっても、「松崎しげる」さん、と比較されるほどの小麦色の肌でした。
当時から「日焼けに気をつけなさい」と母には言われていたものの、「焼けていない肌のゴルファーは練習していない証拠だ」などと大人たちに言われ続けていたので、日焼け止めを手にするのではなく、コパトーンという日焼け促進のためのローションを露出している場所に塗りたくっていました。日焼けの後に、痛みを緩和させるべくアロエ成分の入った何かを塗布していましたが、火傷にアロエが良いとの話から、それであれば日焼けにも、という短絡的な考えで使用していたことを思い出しました。それ以外のスキンケアといえば、練習後に浴びるシャワーの後、シーブリーズを体に塗っていました。ただ、フェイスケアだけは吉田栄作さんと森脇健児さんのCMに倣い、ギャッツビーの化粧水をパンパン顔に塗っていました。なぜフェイスケアだけしっかりしていたのか?との疑問に辿り着きますが、それは「使っていればモテそう」だし、クレアラシルで洗顔してニキビ予防に努めていたけれど、友人が「ギャッツビー使っていたらニキビ消えた!!」と大騒ぎしていたことが広まっただけの理由です。
「友達が良いと言っていたから!」「これ使えばモテそう!!」といった動機で購入していたので、効果や肌への影響などに一切目を向けていない時期でした。
大学になり、ゴルフ部は練習と遠征ばかりになり、私の肌は休みなく太陽に照らされ、元の肌の色に戻れるタイミングを逃しました。それも1997年、ドラマ「ビーチボーイズ」に夢中になり、竹野内豊さん・反町隆史さんの健康的な肌の色が、これまた「日焼けこそ正解なのだ」という確証を私に与えていました。

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大学卒業とともに、プロになるべくコース研修生(私の場合は通い)、海外での武者修行などは始まり、これまた小麦色の日々が続きますが、肌に気を遣うきっかけがこの時期に訪れました。この頃、モーニング娘。などを生み出した伝説の番組「浅ヤン」からデビューした鈴木あみさんがグアム観光局のイメージソングを歌っていたことから、これまでの海外合宿先をアメリカ本土からグアムに変更しました。グアム合宿の2日目、ベッドに入るとふくらはぎに痺れと痛みがあり、歩くことすらままならず、同部屋だった同期に肩を借りてトイレに行く事件がありました。理由が全くわからないまま不安な夜を過ごし、朝になると少しだけ痛みは緩和されていましたが、何かがふくらはぎに触れるだけで痛いのです。そう、それは急激な日焼けで肌が突っ張ってしまったことが理由だったのです。現地のドラッグストアで肌に塗布する薬を買った際に、自分の体格の1.5倍くらいデカい店員に「なぜ日焼け止めを塗らないのか?」「これは火傷している、日焼け止め買っていけ」と英語で脅迫されていると勘違いしてしまうほどの勢いで言われたことで気がつきました。日焼けは軽度の火傷と同じ、それによってパフォーマンスも免疫力も下がるので、身体に良くないことを。
それを機に、あまりにも日差しが強い時期はコパトーン。コパトーンでも日焼け止めのタイプを塗ることが習慣となりました。
時は経ち、2007年。みなさんご存知のハニカミ王子こと石川遼選手が15歳でツアー優勝を果たしましたが、その時の衝撃は未だ忘れられません。なぜなら、日焼けをしていない選手が優勝したからなのです!
この時期を境に、アマチュアゴルファー・プロゴルファー問わず、過度の日焼けは避けたほうが良いとの風潮が国内にも訪れ、ラウンド前は日焼け止めという習慣化が浸透し始めました。現在は、若年中年問わず、ラウンド前にはこぞって日焼け止めを塗布しています。冬でも小麦色のプレーヤーを見かけると「何かヤバい類の仕事しているのでは?」などと余計な勘ぐりをするくらい稀有な状況です。

私はといえば、その後競技から離れてしまったことで、「一年中小麦色の肌」ではなくなりましたが、加齢とともにある種のツケが回ってきたことを実感し始めました。それは「シミ」です。あの頃、父親の背中や腕にあるシミなど自分にはできるはずが無いと鷹を括っていましたが、年を重ねるごとに見事なまでのシミが!!
焦っても時すでに遅しなのですが、少なくとも今やれることはやろうと一念発起し、現在は洗顔後に、妻のインナーアクティブマイブースターを拝借し、その上にアクティブモイスチュアセラムローション(潤)を、そしてコアシールドクリームを顔だけでなく、腕にも少し塗布することは習慣になっています。

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インナーアクティブマイブースター(深)
アクティブモイスチュアセラムローション(潤)
コアシールドクリーム(守)
秋冬高保湿スキンケアセット

2023年にプロゴルファーとして復帰しましたが、少しだけの日焼けはするものの、ラウンド後にはセイクレッドハーブローションを顔・首・腕にスプレーして、早い段階で炎症を抑えることも習慣化されました。ぜひゴルファーにこれらのセットを使ってもらいたいなとも心底思います。
セイクレッドハーブローション

30年前の自分に対し、「スキンケアを徹底しとけ!」と言いたいところですが、インターネットが当たり前になっている今とは情報収集が簡単ではなかったことを鑑みると、当然の帰結だったのかもしれません。でも今からやれることを探して、健康で長持ちする肌のために、同年代の男性に響いてくれることを祈念して、このコラムを書きました。

みなさん、いかがだったでしょうか?懐かしい名称も多々登場し、ひとときでも30年前を思い出していただけましたか?この40代半ばの私の青春時代をスキンケアの変遷とともに書いたコラムは、不定期で登場いたします。どうか次回を期待しながら、日々のコラムも皆様のウェルネスの参考になれば幸いです。

そして最後までお読みいただいた皆様にだけ、お伝えしますね。今回のコラム書いたのは、WELLC社長の福住尚将です!

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